『1984年』(監督:マイケル・ラドフォード)

 ジョージ・オーウェルの小説の映画化。「偉大なる兄弟」が支配する全体主義国家。そこではテレスクリーン(テレビと盗視聴器)によって人々は24時間監視される。食料はすべて配給で、思想やセックスの自由は一切ない。また新語法によって意識までも管理される。「真実」は党によっていくらでも作られ、変えられていく。ソビエトの新聞が「人類の敵」とまで言って激しく攻撃した『1984年』は、全体主義の恐怖支配を批判したもの……らしいです。
 原作の方は、翻訳ものアレルギーの私にとっては――また小説読み始めの頃だったこともあって――読むのが億劫で、途中で投げ出してしまいました。なので(あらすじなどは知っていましたが)、これが『1984年』という物語とのはじめてのちゃんとした接触といえます(まあ、小説じゃなくて映画ですが)。もうちょっとスピーディーにして欲しいと思う部分がありましたが、そんなものはこの物語の政治作品としての意味を考えれば、塵みたいなものでしょう。……本作における全体主義体制は、個人の思想、感情、行動といってものを完全に支配することを目指しています。4本の指を見ても「5本」と答えなければならない……。――残念なことに、オーウェルが本作によって警告し、批判したはずの全体主義が、カンボジアポルポト、そして今日の北朝鮮と、その教訓を活かしきれてないのが現実です。